勝負の神様がいる神社!?
今日は気になる神社を見つけたので紹介します!
和歌山県田辺市にある神社なんですけど、2016年(平成28年)に第40回世界遺産委員会継続会議で世界文化遺産に追加登録されました。由緒正しいお神社みたいで、実はこの闘鶏神社、「勝負の神様」がまつわれていて勝運の向上のご利益があるとも言われているのです。もともとは田辺宮、新熊野、新熊野雞合大権現と言う名前で通称、権現さんとも呼ぶ人もいるのですが、現在は闘鶏神社とされました。
ネーミングも「闘鶏」と言うことで絶対に闘鶏に関係した神社なのだと思い、調べてみました。
そしたら、確かに闘鶏に関わっていたと言うのと、意外や意外私たちの知っている歴史上の人物と関連している神社だったのです。
闘鶏神社の名の由来は、あの『平家物語』の壇ノ浦合戦(源平合戦)の故事によるもので、平安時代この地域一帯、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を統括していたのが熊野別当と呼ばれていました。
熊野別当とは熊野三山の統括者でその役職は社僧が務め、代々世襲制であり、熊野(別当は宗教組織の長であるだけでなく、熊野水軍などの軍事組織の長でもあったそうです。)その熊野別当でもっとも有名なのが、平安時代末期の第21代熊野別当の湛増(たんぞう)です。
元暦元年(1184年)、湛増は、21代熊野別当に補任されていて、ちょうど源平合戦の時、湛増は源氏・平氏双方より助力を請われました。しかし湛増は平氏に縁があったため平氏を見限ることができず、平氏に味方するか源氏に味方するかを迷ったそうです。そこで田辺の新熊野神社(現 闘鶏神社)で占いをして、神意を問いたそうです。
この時代らしいですね。
その占い方法というのが神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせて勝った方につくということなのです。要するに闘鶏をして決めたらしいのです。この時の占いっていうのはなんとなく現代のギャンブルや賭け事の元になっているみたいですね。(最近はやりのオンラインカジノに関してはこちらをチェック!)
そこで湛増は赤白の鶏を対決させてみると、白の鶏がすべて勝ちました。これを見て、湛増は源氏に味方することを決めたらしいです。
7匹というのが不平等な気がするのですが、それは置いといて。笑
湛増は200余艘に及ぶ熊野水軍を率いて壇の浦へ出陣し、平氏を壇の浦に沈め、源氏を勝利に導いたそうです!このことから「闘鶏権現」や「新熊野雞合大権現」と呼ばれるようになったが、明治の神仏分離の際に「闘鶏神社」を正式な社名となりました。
実はこの湛増、息子が7人、娘が5人いて、その中には武蔵坊弁慶もいたと言われているらしいです!それも境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があり、そのほかにも、神社の社務所には源義経が奉納したといわれている笛(銘白竜)や弁慶産湯の釜、弁慶の父湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物やたくさんの貴重品が展示されています。
とても魅力のある裏話でこの場所はパワースポットともされているそうです。
勝負事前不安な時、進路に困ったときに訪れてみたら、何か道が開けそうですね。
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